リンカーンと高村光太郎

Life

Where there’s a will, there’s a way.

意思のあるところに道は開ける。

 

これはアメリカ合衆国第16代大統領 エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln 1809年2月12日~1865年4月15日)の残した有名な言葉の一つである。

 

彼の愛称はエイブ(Abe)。

「奴隷解放の父」とも呼ばれ、奴隷解放宣言によって黒人(混血のものも含む)の奴隷を解放したことで賞賛される偉大な解放者である。

 

彼が残した「意思のあるところに道は開ける」という言葉に思うところがあってこの記事を書く。

「意思のあるところに道は開ける」

この言葉を単純に受け止めて、「ああ、確かに。」と思う。

 

鈴海なりに言い換えると

「やろうとしていなければ何もできない」だ。

「意思がないから道を探してすらいない」だ。

「道がないから進もうとしない」

「進んでいないから道もできない」

「点でしかない」

「ただとどまっているに過ぎない」

 

 

 

 

明治から昭和にかけて生きた彫刻家であり詩人である 高村光太郎 の言葉も、また深く考えさせられる。

 

・道は僕のふみしだいて来た足あとだ だから道の最端にいつでも僕は立っている

・僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る

・一生を棒にふって人生に関与せよ

 

今まで自分にはたくさんの趣味があったはずで、「いつかできたらいいな」とか、「将来は〇〇になりたいな」とか、そんなことを数えきれないほど頭に思い浮かべては、やり過ごしてきた。

その結果が今である。

 

自分は、本当は何ができて、何ができないのかではなく、

自分は本当は何をしたくて、本当はどうなりなりたいのか…

 

 

そういう「本当に大切なこと」をやり過ごしてきた。

結果として「何も持っていない」自分がここにいる。

 

今までの自分は何も探さなかったのか?

本当にやりたいことがなかったのか?

 

…たぶん、やりたいことや将来の夢はあった。

ただ何かのせいにしてやり過ごしてきただけなんだろう。

結局は「本当に」ということが欠けていたんだと思う。

 

そんなに器用な人間じゃないし、今までだって何の努力もなしに手に入れてきたものなんてたぶんない。

 

周りの人を見るとうらやましいくらいに充実した生活を送っているように見える。

でも、そういうやつらは知らないところでとんでもない努力をしてきたんだろうと今は思う。

 

最初から何の努力もなく「しかるべきレール」に乗って「しかるべき地位」や「環境」を手に入れている奴なんてきっといない。

 

 

 

 

だからここで改めてリンカーンの言葉を考える。

「意思のあるところに道は開ける」

 

目標を達成するための原動力こそ「意思」。

「道」を開くのは自分。
「道」とは「プロセス」。

「意思」が機能するのは、達成したいゴールがあって、そこまでのプロセスをきちんと細分化して、解決可能な状態にして、それをひとつづつ達成していこうとする「想い」だろう。

 

「意思」が弱いのは「想い」が弱いせいだ。

本気になっていないから、すぐに諦められる。

 

何も手に入れられないのは、「ほしい、欲しい」と言いながら、「本当に欲しいわけではない」んだと思う。

 

それぐらい「人生」を甘く見ていたんだと思う。

それぐらい「人生」を甘く見ているんだと思う。

 

この先が「まだある」と、「いつまでも続く」と…根拠のない余裕を持っているせいだと思う。

 

一度しかないのに、それがいつまで続くかも知らないのに…

 

だから、怖くなる。

 

何もしてこなかったくせに、「何も残せない自分かもしれない」と怖くなる…

 

やっぱりそんなのはイヤだから、ちゃんと「やろう」として、ちゃんと「やろう」。

 

自分の向かう先、「本当は」を定めて、イメージして、そこに届くように進もう。

そしてもう一度、高村光太郎の言葉を考える。

 

道は僕のふみしだいて来た足あとだ だから道の最端にいつでも僕は立っている

 

進まなければ!!

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